序章 大空の旅団
 日の昇る時分
 西の空はもう赤く染まり始めている
 その赤と黒とが混ざり合った明け方の空の下
 一つの翼が駆け抜けていった
 その翼は何カ所にもわたる深い傷を負い
 全身が血で赤く染まっている
 それは、視界がかすみ、朦朧とする意識の中を
 死力を尽くし飛んでいた
 飛び続けていた
 できる限り長い時間飛び続けようとしていた

 もう何処に着こうが構いはしなかった
 ただ、あの場所からは離れなければ
 できるだけ遠ざからなくてはならないと思った
 だから飛んだ
 
 それでも、どれだけ飛んでも
 あれからは
 あの忌まわしい運命からは逃れられないような気がした
 でも飛んだ
 飛び続けた
 ただ、ただ飛び続けた
 
 ――もしかしたら跡をつけられているのかもしれない
 引き離されてもなお追い続けているのかもしれない
 まだ飛べるうちに引き離さなくては
 できるかぎり
 頭の中で、そう自分に言い聞かせていた

 しばらくして急に視界の下部が開けた
 大陸を抜け、いつの間にか海に出ていた
 もう西の空は日が昇り、青く明るくなり始めている
 どれぐらい飛び続けたのだろうか
 飛び始めた時は
 まだ深夜をまわったばかりだったはずだ
 自信はない
 頭が働かなくなってきている
 もう魔力もほとんど残っていない
 この翼に魔力を供給できなくなるのも
 時間の問題だろう
 でも今落ちる訳にはいかない
 下は海だ
 落ちたらまず命はない
 もう振り返っても大陸は見えないが
 今からでも戻れるだろう
 だが、戻りたくはなかった
 ただ、先へと進みたかった
 
 ふと顔を上げると
 地平線の向こうから一つの島が見えてきていた
 魔力も底を尽き始めている
 せめてあの島まで行こう……
 あの……島まで……
 視界がぼやけ、意識が遠のいていく
 それと共に翼への魔力の供給が止まる
 翼が消える、飛ぶ力を失う
 そして高度が下がり始める
 しかしその前進する力の勢いはその後も衰えず
 一つの弾丸のように前へと風を切り
 突き進み
 やがて弧を描くようにして落ちていった


     ★ ☆  ★ ☆


「ふあーぁ」
 ノエルは空を飛んでいながらも眠気という誘惑に負け、一つ大きなあくびをした。ちょうど近くを飛んでいたハウエルはその様子を見てにこにこしながら
「あくびなんかしちゃって、せっかくの可愛い顔が台無しじゃないか」
とちゃかす。
 いつもならここでむくれて何か言い返してくるのだが……
「だって、眠い……」
と、しかしハウエルの予想に反し、力の抜けた気のない返事が帰ってきた。
 よほど眠いのだろう。その翠玉のような澄んだ瞳は本来の輝きをなくし、曇っているようにも見える。
(ま、しょうがないか。いつもの倍以上の距離を飛んでいるわけだし。それにノエルの魔力も未完成だからな)
 眠そうなノエルの姿を見て微笑み、東の空を見やる。もう日は地平線へと沈みかけている。辺りも暗くなり、月が征する夜の空へと姿を変え始めている。――休み時か。
 ハウエルは先を行く仲間達を呼び止め、休むぞと合図を送った。
 それと同時に彼らの顔に笑みが広がる。その様子から、他の皆も疲れていたのだろうと容易に想像することができた。まあノエル程ではないだろうが。
 この旅の一段は全員で十九名。この世界の空を旅してまわっている。
 この団体のリーダーは(先ほどの会話からも察しがつくだろうとは思うが)ハウエルである。
 
 なぜ彼らが自由に空を飛び回れるのかというと、彼らは然幼族と呼ばれる(厳密に言えば)妖精に属する種族のうちの風を操る者だからだ。
 といっても然幼族は妖精族と根本的に違う点が主に二つある。一つはすべての然幼族が人間の子どものような容姿を持ち、切るべき肉体、流れる血――すなわち実体を持っているということ。
 そしてもう一つは妖精族とは比べものにならない、百を超える部族が存在すると言うことだ。
 各部族は、それぞれに対応する自然の要素を操り、その対応した自然の要素に直接的に働きかけ育んでいくという役割を持っている。
 たとえば森族だったら植物や地に関する力を操り、森の成長を助けるといったようなことだ。
 ちなみに彼らが使う力、潜在魔力の絶対値は大方所属する部族によって決まっている。個々でも違いは出るが、ほとんどの場合部族ごとに定まった潜在魔力の基準を多少上回ったり下回ったりする程度だ。(もちろん例外もある)
 全部族の中でも特に四大元素である風土火水を操る個体数の少ない四つの部族が他の部族を凌駕する魔力をもって風族もその中の一つである。

 ハウエルは手頃な場所を見つけると高度を下げていった。他の者もそれに続く。
 目をつけた場所は、見晴らしの良い広大な古森を臨む丘だった。その地面は一面草花で覆われ、緑の絨毯を広げたような光景が広がっている。休むのには適した場所だ。
 一行はその丘に次々と降り立つと、体を楽にし、今日の出来事や反省(雑談)を互いに話し合った。楽しげな声が辺りに響き渡っている。
 一方ノエルはというと、眠気に耐えきれず着地してすぐに大地にダイブしていた。
 それに気づいた一人がノエルのことに話題を振る。
「あれ、ノエルったらもう寝てる」
「よっぽど今日の旅がこたえたんじゃない? ハウエルってば新入りがいるのもお構いなしに長距離移動するんだもん」
「そうだよな。俺達だって結構こたえたんだ。ノエルにとってはかなりきつかったんじゃないかな」
「ほんと、気に入ったからってノエルで遊ぶことはないよね。あれじゃ遊ばれるノエルが可哀想だよ」
「最年長だから、一番優しく接してあげなくちゃいけない立場なのに。あれじゃねえ」
 といった感じでノエルに関する話題はいつの間にかハウエルへの文句へと変わっていた。いつものことだ。皆年下には優しく上にはこれだ。
(どうせ言うならもうすこしソフトな言い回しで言ってほしいものだ)
 ハウエルは内心でそんなことを思っていたが、思ったところでどうしようもなくただその場苦笑いを浮かべているしかなかった。
 会話の中にもあったが、ノエルは生まれてから日も短く、四ヶ月と経っていない。その為、どうしてもうまく魔力コントロールできず、浪費してしまうのである。
 それでも、並の風族でさへこたえる道のりをなんとか渡りきってしまったというのだから驚きだ。
 もともと然幼族の死亡要因に寿命がないため、力を使いこなすのに時間がかかっても問題はない。
 そのため、普通然幼族が一人前になるのに百年、魔力を完全に使いこなせるようになるまで三百年から四百年とかかるのが普通で、例え風族とはいえどノエルのような生後間もない然幼族が一人前に近い実力を発揮することはまずありえなかった。
 つまり、考えられるこの異常な能力の要因はただ一つ。ノエルがもともと風族を卓越する程の膨大な魔力の持ち主だということだ。
 もちろん部族の長であるハウエルは、この時点ですでにそのことに気づいていた。そうでなければ今回のような無茶な飛行はしなかったであろう。

 
 ――それから四時間程経って

 ノエルは何かが耳元でささやいていたような気がして目を覚ました。
 もう皆寝静まり、辺りは静寂に包まれている。
 ふと辺りを見渡したがそれらしき者も何処にもいない。
 しばらくしてまた何かがささやいた。姿はない――風だ。ノエルはそう直感した。
 ノエルは風と会話できるという特殊な能力を持っていた。ノエルはつい最近まで風族はみんなそれができると、それが普通なんだと思って、何の気もなしこの能力を使っていた。
 だが、それは大きな間違いだった。ある日風と話していたら独り言を言っていると他の人に勘違いされ、そのときにこの能力は自分にしか宿っていない能力なんだと自覚した。
 それ以来この能力はあまり使ってはいない。
 それでも今回はちゃんと聞き取ろうと耳を傾けた。
 少しして耳元を風が吹き抜ける。それを聞いてノエルは唖然とした。
 それは、敵意ある者がこちらに向かってきているという内容だった。
 最近何者かに然幼族が襲撃されるという事件が頻繁に起こっている。とても聞き流すことの、決して無視できるような内容ではなかった。
 すぐにみんなに知らせなくては、と思ったが皆を起こそうとして思いとどまった。こんなこと言っても誰が信じるものか。普通にいっても聞き流されてしまうだろう。
 ノエルの頭の中にある人物が浮かぶ。
(私を信用してくれて、信頼できるあの人なら……)
 そう、部族の中で一番ノエルを信頼し、一日中ちょっかいをかけてくるあの男。ハウエルだ。
 だが、確かに彼は頼れる男だが、人一倍寝起きが悪く揺すったくらいでは起きない強者だ。その時ノエルは覚醒の魔法が使えたら良かったのにと思った。
 だがそれもつかの間、少々手荒だが確実に相手を起こす方法を思いついた。
 制御しきれていない魔力をめいっぱい使い(日頃の恨みを込めて)一つの魔法を詠唱する。
「風よ。北よりいでし冷風よ。我が力となりてかの者へ吹け。風波・強風・冷撃」
……まんま攻撃魔法である。
 ノエルの知識不足のせいで被害を被ることになる不運な男の周りに変化が起こった。彼の周囲の空気は一変し、冷気を帯びる。それからまもなくして一陣の凍てつく風が彼に襲いかかった。


「――ぶぅあっくしょん! うわ寒。な、何だ」
 熟睡していたハウエルだったが、突然の襲撃で大きくくしゃみをし、夢の世界から無理矢理現実世界へと引きずり戻された。
 辺りは凍てつくような冷気に覆われ今もなお彼に吹き続けている。
 何事かと辺りを見渡し、前方に殺気だった一人の少女を発見する。
 肩に届くか届かない位の淡い緑を帯びた髪。翠玉のように透き通った瞳。雪のように白い肌。人形のような可愛らしい顔。
 見間違えようが無い――ノエルだ! 今もなお手をこちらに向けている。おそらく術者は彼女だろう。とんでもない少女だ。
「ちょ、ちょっと待て! もう起きてます。だからもうやめてぇ。あの、ほんとですから。うわああああ」
それを聞いたからか、ノエルは手を下ろした。だが魔法は止まらずさらに勢いを増した。
「あっ――」
 彼女の顔が急に戸惑ったような表情になる。そう前述にも挙げたとおりうまく魔力を制御できていないのだ。制御の効かない魔法は発動しないか暴走することがある。
 まさに今回は後者が起こってしまったのだった。魔法はノエルの意思に反し、まだ勢いがおちる様子はない。
 ハウエルは体が冷えていくのを感じた。
(まずい、このままではまずい。マジ凍え死ぬ……)
 心の中で、そんなまずあり得ないことを考えながら。(なぜならこの魔法には殺傷能力はない。要するに足止めが目的だ。まあ凍傷にはなるだろうが)

 ――それから少しして
 突然魔法がやんだ。何の前触れもなく。
 もう体全身が凍傷になるかと思った矢先にだ。
 まあ暴走した魔法だからそんなものだ。何が起こるか分からない。
「あの……ノエル? お願い……もうこんな起こし方しないで。また魔力が暴走……したら困るから」
 その後ハウエルから発せられた第一声だ。寒さで歯がガチガチになり声も震えている。
「うん、ごめんなさい。ただ日頃の恨みと思って力込めたから、それでかも……」
 ノエルも相当反省したのか話すうちに声が小さくなっていく。
 言ってることはあれだが。
「日頃の恨みって、あのなぁ」
 しかしその言葉はノエルには聞こえていなかった。なぜならもうすでに別の話をし始めていたからだ。
 ノエルはハウエルについさっき起こった出来事を洗いざらい話した。
 はじめは笑顔で聞いていた彼だが、話を終える頃には顔をこわばらせていた。
 はじめこそ敵なんて、と軽く考えていたのだが、ここ最近然幼族に対する襲撃事件が頻繁に起きていることを思い出し、はっとしたのだ。
「あの……信じてくれるの?」
 ノエルが心配そうに尋ねる。その目は『風とのことも?』 と言っているように見える。
「ああ、なんかノエルは他のみんなと違うからな。魔力も異常に強いし。風と話せるなんてことがあってもおかしくないと思う」
「もしかしたら、まちがってるかもしれないよ?」
「それでも移動するにこしたことはないよ。身の安全が大事だしね。まって、みんな今起こすから」
 そういって覚醒の魔法を紡ぐ。
 ノエルは内心喜んでいた。うれしかった。こんなにもあっさり聞き入れてくれたのだ。説得にもっと手間がかかると思っていただけにその喜びは大きかった。
 ハウエルの魔法が効力を発揮し皆を眠りの世界から現実世界へと引き戻す。そして皆が目を覚ましたところでハウエルは皆に事情を話し始めた。よりみんなが聞き入ってくれるよう少し大げさにいい、愛想を尽かされないよう風との会話のことを隠してだ。

 そして、皆をまとめ
「よし出発だ。無駄口叩くなよ」
といい皆に出発の合図を送る。そして本当に飛び立とうという時だった。
「きゃあ――!」
 鼓膜が破れそうな程の轟音、それと同時に強い衝撃波がノエルを襲った。直撃を受けその華奢な体は宙へと投げ出され、地面へと打ち付けられる。
 体中を激痛が走る。急所は外れたようだったが思いの外ダメージは大きかった。力が入らない。皆に助け起こされ何とか立ち上がる。体中衝撃波らしきものと地面に打ち付けられた際にできた傷でぼろぼろになっている。衝撃波のような強大な攻撃は一撃だけではなかったようだ。右足と両腕に特に深い傷を負っていた。今もそこから血が流れでている。
「くそっ、もう来――!」
 ハウエルは攻撃が来た方へと振り返り――言葉を失った。
(嘘だろ……そんなことって……)
 一瞬自分の目を疑った。続いて夢を見ているのかと思った。他の者も同様だった。それが真実だと悟った時、彼は、彼らは皆愕然とした。

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